名前のない新聞について
懐かしいと先に書いてしまったが実は、「
なまえのない新聞」は今も出ている。ネットで検索して知り得たかぎり、同じ主宰者、――確かアパッチという人だったと思う――が出しているような変わらぬコンセプトであり、それは昔から環境保護とか反原発、精神世界、ヒッピー、コミューン的ライフスタイルに関連した記事が多いようで、良くも悪くも人は同じ歌を歌い続けるものだと感心してしまう。
しかし、1972年にガリ版刷りで創刊され、昔は無料で配られていたその新聞もどうやらいったん休刊となり、1988年に再刊されてからは、今現在は、1部¥400+送料で、隔月の発行、年間(6号)は¥3000だそうである。実物を読んでいないのでそれが高いか安いか内容に見合うのかわからない。発行人は居を東京から南の島に移して、確か奄美大島を拠点に出し続けていると風の噂で聞いている。※後日、読者の方からご指摘を受け、確認したところ、現在主宰者の方は神戸に居を移しその地で発行されていました(08年12/13日追記)。
そして、自分が読んでいたときは、タダだと先に書いた。が、今その70年代半ばのを見返してみると、きちんと一部75円なり、100円と値段も記してある。あれっと思った。ということはタダではなかったのかと今気がついたがそれにしては金を払った記憶がない。ライブハウスとかに無造作に置かれていたり、ぶら下っていたから勝手に持ってきてしまっていたのだろうか。もう30年以上も前のこととなると記憶もおぼろげでよくわからない。誰かご教示頂けないか。
自分はこの「新聞」を吉祥寺に出て、主にぐゎらん堂で行ったときに手に入れていたはずだ。その頃の情報、特に音楽などのライブ情報は、こうした“ミニコミ”とそうした若者向け喫茶店に壁から吊るされて置いてあったチラシ広告、今で言うフライヤーに頼るしかなかった。というのもそうしたイベントの情報を網羅した「ぴあ」などの情報誌が世に出回るのは、東京では1972年、大阪ではプガジャ創刊が1971年で、その以前及び70年代半ば頃迄は若者が欲しい情報を得るためにはまずは街に出るしかなかったのである。ネットの時代に生きる今の若者には想像もできないことだろうが。
その名前のない新聞、ライブの情報などの載っているページを載せておく。ぐゎらん堂やフォークロアセンターやらともかく懐かしい店の名前が掲載されている。細かいところは読めないかもしれないが、当時を知る者はある感慨を催すに違いない。
★76.1.20 No.91 号
※余談だが、細かく出演者名を追っていくと、曼荼羅ではルージュ、ぐゎらん堂には古川ごう、フォークロアセンターには、中塚正人、そして北関東唯一のライブハウス、仮面館(宇都宮)には、丸山拓一ら、個人的に重要な人、拙ブログによく登場する人たちの名が見え隠れしている。