日本のフォークミュージアムを作る夢
一昨日行った両国のフォークロアセンターについての報告である。昨日は柴又で岡君たち三人トリオのライブを観てその後金町で飲んで酔っ払ってそのことを書いたら、それだけで分量いっぱいになってしまったのだ。
さて、そのフォークロアセンターであるが、60年代よりウディ・ガースリーのフィルム上映会などを手がけていた國崎清秀氏(写真)がここ両国の地に1970年に始めたイベントスペースであり、まだライブハウスなどという言葉もない時代に定期的にライブやフィルム上映会を行い、高田渡ら日本のフォーク勢のみならず、外国のミュージシャンも多くここで演奏を繰り広げた「伝説」が残っている。
★↑窓際の壁に今も残るここで演奏を繰り広げたミュージシャンたちの名前が記してある当時の張り紙。幻の「林亭」やら北炭生、古川豪、さらには田中研二と通な人たちまで。左側の外国人アーチストの中には、あの“ランブリン”・ジャック・エリオットやトム・パクストンの名まで!
また、ここはあのユニークなバンド「たま」の発祥の地でもあるそうで、たまのメンバーは80年代初頭この店で知り合い結成されたそうだ。
フォークロアセンター自体は、一階が蕎麦屋である民家の二階で、ごく狭い一室を改造して空間を作り、そこで人が集まり様々な催しが行われた。そして今その部屋は当時そのままに維持されてミニ資料館として公開されている。↑
そして現在は、一階部分もセンターが所有し、コミュニティ・ギャラリーとして活用されていて、今回のピート・シーガーの上映も下のギャラリーで行われていた。
主宰の國崎氏は、近年は大病をされたり、家庭の事情などに時間をとられてなかなかセンターとしての活動ができなかったようだが、この秋からようやくまた“復活”されてその手始めとして今回の上映会を企画されたというわけだった。彼自身、ここを日本のフォークソング運動の歴史を記録し保存していくような記念館、資料館、歴史ミュージアムのようなものにしたいと考えているそうで、増坊もまったく同じことを近年夢想していたので話も弾み、結局午前から夕方まで半日もお邪魔して音楽談義に話が弾んだ。ここを拠点としてまた何か新しい「運動」ができるか、非力ながらも国崎氏に全面的に協力していく決心をした。※増坊を国崎氏と引き合わせてくれたOさんはビデオを観たらそくそくと先に帰られてしまった。しかし、運命的にも思える一日で-本当に彼には感謝している。《もう一回だけ続きます》